月別アーカイブ: 2009年9月

山形紀行②-山形行き

さて、いよいよその当日19日、朝7時に山梨をスタートしました。交通手段はマイカー、山梨から中央道・長野道・上信越道・北陸道・磐越道・東北道と乗り継いで山形入りするというコースです。インターネットでルート検索するとこのコースでの所要時間は8時間超、東京経由では7時間超との予測。しかしパーキングエリアの混雑でトイレ休憩もままならないなんていう話を聞くと、1時間くらい余計にかかってもその心配の少ないコースと言うことでこのルートにしました。夫婦2人で交代で運転、磐越道までは予定通り順調に進みましたが、東北道に入ってすぐに渋滞にあい、1時間近くロスをしました。

山形蔵王ICを出て川沿いに下りその後左折して川から離れるはずでしたが、その左折が遅かったらしく、目的地より北の方にそれてしまいました。それでもすぐに気づき、あとは「多分こっちだろう」なんていう調子で山形市内に入っていくと、ありました、緑の看板「ミンタロハット」。私はカーナビなしのスリルが大好きです。到着は午後5時、スタートから約10時間でした。
ミンタロハット

山形紀行①-序章

9月の5連休をシルバーウィークと呼ぶそうですね。このシルバーウィークに我が家は山形行きを決行しました。その目的は(ちょっとおおげさかな)、
・分離唱の合唱を唱うこと
・分離唱の合唱の人に会うこと
の2つでした。

山形は分離唱の合唱のゆかりの地です。山形南高で音楽の先生をされていた森山先生のもとで分離唱による音感教育を受け佐々木先生も二十数年通った地、その山形では今でも分離唱による合唱団が活動しています。その混声合唱団フルセズコーラスの練習に参加しようと、今回の山形行きを計画したのです。5月頃だったでしょうか、
「シルバーウィークに練習はありますか?」
「19日がちょうど練習日に当たってます。
とりあえず宿泊(ミンタロハット)を押さえておきましょうか?」
「お願いします。」
「何人ですか?」
「二人お願いします。」
とのメールのやり取りが最初でした。ミンタロハットはフルセズコーラスのメンバーであるみんたろさんが経営しており、2年前にオープンしたゲストハウスです。そしてもう2泊は私が最も親しくしていただいている友人Fさん(この方もフルセズコーラスのメンバー)にお世話になることにしました。Fさんの自然農の田圃を見学するのも今回の目的の一つです。
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マツムシソウ

少し日がたってしまいました。山岳ドライブのときのマツムシソウです。八島湿原で自然観察員(?)のおじさんに教えてもらい、この花をみつけました。
マツムシソウ1
このとき、八島湿原付近ではマツムシソウはまだ早く、「もう少し山の上で咲いているよ。山の上からだんだん下に降りてくるんだよ。」とのことでした。

マツムシソウ3
ここでの散策を切り上げて次は美ヶ原高原へ向かったのですが、標高が八島湿原より何百メートルか高いこの高原ではマツムシソウがちょうど満開でした。駐車場を降りてちょっとした山頂に登っていくとその路沿いに、ススキ野原の中にたくさんのマツムシソウの花が点在していました。
マツムシソウ4
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「誇り高き日本人でいたい」

今年5月に聞いたC.Wニコルさんの講演会では、会の終了後ロビーで2冊の著書を販売していました。その一冊を図書館で購入していただき、読むことが出来ました。
誇り高き日本人でいたい

内容は著者の生い立ちや日本に来るまでのこと、日本で出会ったすばらしい日本人のこと、そして最後に森の再生のこと。日本国籍を取得し、今では生来の日本人以上に日本人らしいのかもしれません。私たちは「愛国心」という言葉には身構えてしまうところがありますが、ニコルさんには自然な形で心の中に(もちろん日本に対する)愛国心があるようです。

本を読み終えて特に印象に残るのは森作りのことです。講演会の時には黒姫の森の映像もたくさん見せていただきましたが、放任された森でなく豊かな森をつくるための人の関わりのことがこの著書にも書かれています。

こんな話を読んでいるとやはり私の中の山の記憶がよみがえってきます。私の実家は山間地、山の記憶といえば農作業のない冬の間の山仕事についていった記憶ですね。私たちが子どもの頃は炭焼きも盛んでした。部落の共同の倉庫には出荷する炭俵も積み重ねられていました。山では燃料である薪切り、ぼや切り(焚きつけに使う細い枝を集め、切りそろえて束にする)、しょいこでの薪背負い(まきしょい)、植林、下草狩り、木の掃き(落ち葉を集めて家畜のいるところに敷いてあげました)、今思い出すのはそんなところかな。山での収穫が燃料になり、家畜の敷きわらの代わりになり、農作業の資材にもなりました。良質の木材はもちろん建築材です。その基となる植林がなかなかできない私たちの田舎のような貧しい山村でも雑木林が立派に育てば山師に買い取ってもらい、立木のまま買い取ったこの人達は切り倒して大きさをそろえ、トラックに積み込んでパルプ工場に売りに行きました。

そんな山と森と共に生きる術を私たちは全て捨ててしまったのかもしれません。でも、逆に山に頼らなくても生きていける豊かな時代になったのかもしれません。孫の誕生を記念して植樹を考えた父達の頭に描く理想の山は杉や檜などがきれいに植林された山でした。しかし、ニコルさんのおはなしでは豊かな森というのは多様な生物が生きることのできる森で、針葉樹一色のものではなく、樹木も含めて多様な動植物が共生している森のことだそうです。そう考えると、山に頼らなくても済む豊な時代の今こそ豊かな森の再生に力を注ぐことの出来る時代なのかもしれません。

「豊かな森」、魅力的なことばです。

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八島湿原の花3

花の名前を探しながらでは、アップもなかなかすすみません。
ヤグルマソウ
カワラナデシコです。この花はしばらく歩いてほんの少ししか咲いていませんでした。
ヨツバヒヨドリ 名前不明
上は、ヨツバヒヨドリ。自然観察員らしいおじさんが霧ヶ峰から八島湿原に向かって歩いており、途中の路端に駐車しておにぎりを食べていると追いついてきて声をかけていただきました。駐車待ちをしたのちやっと湿原におり、木道をあるいているとやはりこのおじさんにお会いし、数多くの高山植物を教えていただきました。この花は八島湿原のこの季節を代表する花なのだそうです。たくさん見かけました。

下はまだ名前がわかりません。色鮮やかで他の草の陰になったところで咲いていました。

八島湿原の花2

八島湿原で見た花をもう少し紹介します。
木道を歩いていると、そのすぐ脇に多くの花が見られました。その名前を紹介する白い小さな説明板も立っています。説明板が読み取れますね。オミナエシ、黄色い小さな花です。
オミナエシ

それから下はアキノキリンソウ、次はヤナギランです。
アキノキリンソウ ヤナギラン