「神様のカルテ0」
夏川草介
小学館
人気の「神さまのカルテ」シリーズ、私もお気に入りなのですが、今回はその登場人物をさかのぼって描いた作品。主人公:栗原一止はまだ医学生時代の友人たちの交流を、一止がスタッフに入る前の「24時間対応」の看板を掲げた頃の本庄病院を、そして一止の本庄病院での研修医スタートを、最後は一止と結婚する前の榛名の姿を描きます。
どの話もグッと引き込まれます。このシリーズ、やっぱり好きだな。
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国分寺の合唱がありました。
今回はS:3,A:5,T:4,B:3となかなかのバランス。いつものようにはじめに分離唱。その後の曲目は以下の通り。
しずけきいのりの
はるかに
祖母の小箱
雲雀
うぐいす
緑の森よ
アヴェ・ヴェルム・コルプス
ロー・ア・ヴォイス
グロリア
森の教会堂
休憩時には男声合唱と女声合唱
Adoramus Te(男声)
今は若き子(男声)
アヴェ・マリア(女声)
願い(女声)
それから後半、
渓川したいて
すすき
よしきり
光のお宮
われは幼く
やさしくともをむかえよ
こころのおごとに
ひとたびはしにしみも
むくいをのぞまで
きよしこのよる
もろびとこぞりて
以上で練習を終えました。
今回はクリスマス・イブの前日、そのためかいつものことなり音感合唱曲集Ⅱから。そして音感合唱曲集Ⅰ、最後に讃美歌の順に唱いました。いつも以上に讃美歌が味わい深く感じられました。
終了後も残ったメンバーでクリスマスの讃美歌を何曲も唱いました。12月はもうこれが楽しみ。
ひつじはねむれり
まきびとひつじを
あらののはてに
かみのみこはこよいしも
もろびとこぞりて
あめなるかみには
ああベツレヘムよ
きよしこの夜
そして最後に「夜はふけわたりぬ」で、今年の合唱を終えました。12月に存分にクリスマスの讃美歌をア・カペラ合唱で存分に唱えるのはやっぱり嬉しいですね。これで気持ちよく新年が迎えられます。
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を歩いてきました。
今回は甲州街道最大の難所といわれる笹子峠越えです。JR中央線の笹子駅からトンネルを隔てた甲斐大和駅までの約14kmコースです。
笹子駅前広場に9:30集合、いつものように開会セレモニーと準備運動。
この広場には巨大な一枚岩からなる「笹子隧道記念碑」が建っています(ちょっと暗いが写真左側)。JR笹子トンネルは明治時代に開通し、長いこと鉄道トンネル長日本一だったのです。当時としてはこの掘削・開通が偉業だったんでしょうね。この碑は長いこと甲府駅にあったのだそうですが、ここに移されたのです。
9:45スタート、笹子峠を目指します。駅から出るとすぐに国道20号線、そして国道沿いに笹子宿があったのですが、今面影を残す建物は僅かでした。
国道を歩きながら国道の笹子トンネル入り口方面を見上げると、見事に快晴です。中央やや右の白い建物が元トンネル料金所の場所に建てられたドライブイン、今も営業しているのかな?
国道から別れて旧道をすすむとやがて旧甲州街道の標識、ここで車道とはお別れ。
ここは明治天皇が野点をしたというところ、その石碑が建っています。ここで小休止。昼食場所まであと20分。
こんな巨木。かつて戦国武将がこの杉の木に矢を立てて戦勝を祈願したと言います。
根元を回ってみると洞が見えます。40年ほど前には洞の入り口はもっと大きく、なかは焦げたあとが痛々しかったのですが、一度洞を隠すように修復してそこがまた痛んできているようです。
若い杉の林の中にベンチも設置され、一本杉が寂しく立っていたここも大きく趣を変えていました。観光地化?名所化?うれしいような、うれしくないような。
で、ここで昼食となりました。昼食時間は気前よく1時間、でも笹子の山は寒くて食べ終わったらじっとしていられません。そんな気持ちを察してか予定を繰り上げて午後の部スタート。
昼食場所をちょっと上がると車道に出ました。杉良太郎さんがこの「矢立の杉」を歌っているとか、その説明の大看板が車道からの入り口と言うことで設置されていました。
その車道を歩き続けて旧道の笹子隧道にたどり着きました。隧道の入り口から覗くと出口が見えます。トンネルを抜ける人、峠を越える人と希望で別れて、私達は峠越えチーム。トンネル入り口の右脇から峠を目指します。
急坂ではありますが、一面の落ち葉の中を歩くのはいいものです。
峠の標識を記念撮影。柱に「笹子峠」、左方向に「大和村日影・甲斐大和駅約2時間30分」、右方向に「笹子駅約2時間」の表示。
峠を越えるとすぐにトンネル出口が見下ろせます。トンネルのこちら側は北向き斜面、降った雪が融けずにうっすらと残っています。
車道から別れてまたまた林の中の道を下ります。落ち葉の道、でも所々凍っていて慎重に。
ここからは舗装された車道、通行止めになっている車道を我が物顔で。こんな道を下りに向かうと健脚の人は先へ先へと早くなってしまいます。リーダーが「私の前には出ないで下さいね。」、それでもきかない人・人。「私の前は保険の対象外ですから」なんて言われても違反者(?)は一向に減ってくれません(笑)。
この地域の小中学校の学校林の看板がありました。そういえば私達も子ども時代に学校林の整備作業にかり出されましたっけ。あとで漆にかぶれて大変でした。今は子どもに学校林の整備をさせる時代ではないでしょうが、どうしているんでしょうね。
「秣負ふ 人を栞の 夏野哉 芭蕉」
芭蕉も歩いた道なんですね。
宿中の家の立派な屋根。トタン葺きなら鬼瓦ではなく何と呼ぶんでしょう?
合流点で右折、国道を少し遡ってこの日のゴール地点:甲斐大和駅に2:40到着。
標高差700mで峠越えはさすがに寒かったな~。街道中最大の難所と聞き覚悟(?)はしていたのですが、それでも暖冬の上天気にも恵まれ、20kmほどあった前回に比べると体力の消耗も少なくてすみました。峠を登って下りる、これはやっぱり達成感ありますね。
朽ちかけた木橋も何カ所かあり、一人づつ渡るように制限したり、ロープを渡してつかまって渡れるようにしていただいたり、また凍った歩道に注意を促したりと今回もスタッフの皆さんのご配慮をたくさんいただきました。ありがとうございました。
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「津波もがんも笑いで越えて」
いのちの落語家が追った3・11
樋口 強
東京新聞
著者は43歳でがんに出会うが、その6年後からがんの仲間と家族だけを招待しての「いのちの落語独演会」を毎年開催している。52歳で退社し、執筆と「いのちの落語講演」を全国に展開している。東日本大震災で被災し、がんと二重の苦しみを抱えている人とも親しく取材し、それが「いのちの落語会・講演会」でも語られる。自身ががんを抱えているからこそ語れるおはなし。「笑いは最高の抗がん剤」なんてことばも登場します。がんとともに生きている方たちと笑いを共有し共に生きている著者、すごい人です。第5章はCDで聴く「いのちの落語-あの日を忘れない」、がんの仲間しか聴くことのできなかった落語をここで聞くことが出来ます。
お薦めの一冊!
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