カテゴリー別アーカイブ: おはなし・ことばの世界

「ゲド戦記」

清水真砂子さんの「幸福に驚く力」を読んで、その語り口や内容にひきこまれました。この方は「ゲド戦記」を翻訳された方です。「ゲド戦記」は読書好きの人が特におすすめする本であることを割合最近になって知りました。長編ではありますが、この機会に読んでみようと、町(今は市)の図書館から借りてきました。

ゲド戦記1
訳本というのは非常に読みにくく、特に固有名詞がなかなか頭の中に納まってこず、かなり読み進まないとその世界に入っていけない、そんな印象をもっていました。しかし、まだほんの30ページほどしか読んでないのですが、最初からぐいぐいと話の世界にひきこまれていくようです。この様子では意外と早く読了できるかもしれません。たまには期限内に返却できるようにしないと。(笑)

木版画の絵本

私は詳しくはないのですが、絵本にも秀作と駄作があるようですね。いつかこのブログにも書いた松井直さんの講演でも、素晴らしい絵本をいくつか紹介していました。その中の一つに、

「三びきやぎのがらがらどん」
マーシャ・ブラウン え
せた ていじ やく

がありました。同じストーリーでも訳者で全然違うし、絵によっても心に残り方が全然違うのだそうです。1940年作の超ロングセラーです。
この本と同じ作者の絵本を最近手にしました。

「ちいさなヒッポ」
マーシャ・ブラウン さく
うちだ りさこ やく
偕成社
ちいさなヒッポ
我が家に転がっていたこの本を何気なく開いて驚きました。この絵本につかわれている絵は、どうやらすべて木版画なのです。版画特有な直線的な絵や決して複雑でない色づかいなのですが、登場するカバの皮膚には木目が見えます。水の中や暗闇に包まれたカバもうまく木目を生かして描いているのです。遠景の木々もうまく版画の手法で描いています。カバの目や表情がまた何ともいえずいいのです。

お気に入りの一冊になりそうです。

「暗記した昔話」?

 むかしばなしの素語りを中心とした活動をする団体があり、先日この団体がひらいた「おはなしのつどい」を地元紙が紹介した。


    「おはなしの会」が暗記した昔話披露


こんなタイトルの短い紹介文である。
 「暗記した昔話」・・・・、たしかにそうではあるが何とも味わいのないことばではないか。こんな無機的なことばの中に、記者の素語りへの関心の無さを感じてしまう。


 絵本の読み聞かせや小道具をつかったおはなしなど、昔話などを語るのにもさまざまな手法がある。しかし、何も小道具をつかわず小細工をしない「素語り」が何といっても空想の世界を駆けめぐるには一番のように思う。具象を見ないからこそ空想が広がる。語り口も、演劇的に語るのではない「素語り」がおはなしにはいいと思うのです。

「あらしの夜に」

 先日、民放で「あらしの夜に」が放映された。原作は木村裕一さん、昨年話題になったアニメ映画である。
 
 この話を初めて知ったのは、ある会で小学校の先生が子どもたちに読んで聞かせたということからである。この会ではいろいろな人が本を紹介jしてくれたのだが、「あらしの夜に」に子どもたちが聞き入る様子をうかがって、この本を読んでみたいと思った。そして私が読んだのはもう7~8年くらい前のことである。

 小学校の先生が言うとおり、真っ暗闇の中でお互いに誤解しながらも会話がすすみ、羊の危機が過ぎ去るまでのハラハラドキドキがたまらなかった。

 しかしアニメ映画では、このハラハラドキドキがほとんど感じられない。しかも「あらしの夜に」の続きが延々とあり、オオカミと羊の甘ったるい友情がくすぐったくて少々イメージダウンであった。

 私としては、やはりこの話は「あらしの夜に」だけ、雨宿りが終わるまでだけがいい。そして真っ暗闇の中の情景を想像を膨らませながら話を追っていくのがいい。多分、誰かに読んでもらうのは一番なのではないかと思う。

「バスのなかで」

 坂村真民さんの本を改めて引っ張り出して読んでいる。
念ずれば花ひらく「念ずれば花ひらく」柏樹社

 初版は昭和54年だが、私が持っているのは昭和57年発行の第6刷のものである。25年前に読んだ印象ももう忘れているのだが、今読み直すと文章がスッとはいってくる。この本の中の一つの詩を引用させていただく。

バスのなかで

   この地球は一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみ合うバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分より大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのに
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つ真っ白い花であった

 今の環境のことなどを考えると、明るい展望はあまり見えない。

例えば「地球温暖化」、どう取り組むかが大きな課題になっているが、仮に取り組みがうまくいったとしても温室効果ガスのかなりの増加は避けられない。どこまでの増加で止められるかが問題なのだそうだ。対策がうまくすすんだとしても、今よりかなり温暖化が進んだ状態で止まるといういこと。うまくいかなければ・・・・。それなのにアメリカはそっぽを向いているし、日本だって先頃の国際会議で賞をもらっている。「化石賞」というこの賞は、温暖化防止に向けて最も後ろ向きな発言をした国に送られる不名誉な賞である。

けれど、この詩を読むとそんな憂鬱な心が吹き飛んでしまう。「人間、こんなきれいな心でいられたらなー」と思う。しかし、私にはこの光景を実際に見てもそこから感じ取ることができたかどうかは疑問である。しんみんさんの「翻訳」があって初めて、こんなきれいな心を感じ取ることができる。

坂村真民さん

 つい最近、友人からいただいた文章のコピーで坂村真民さんが昨年12月に亡くなったことを知った。私は詩を十分味わうことのできる人間ではないが、「仏教詩人」と自称していた真民さんの詩には独特の味わいがを感じる。
 
 そういえばもう20年近く前だろうか、九州に出張した折りにたまたま愛媛の方と一緒になった。「愛媛といえば、福岡正信さんがいますよね。」、「坂村真民さんがいますよね。」と話しかけたところ、「あなた変わってるねー。愛媛といえば普通、夏目漱石・森鴎外だよ。」なんていわれたことがある。
 子どもが小さい頃、親しい方からあるお寺で経営している保育園をすすめられたが、この寺の門脇には真民さんの詩が掲示されていた。ラジオで語っているのを聞いたこともあった。

 「坂村真民一日一言」という本が出版されたそうだ。その一年の締めくくり12月31日の言葉がいただいた文章の最後に紹介されていた。

    よい本を読め
    よい本を読んで己れを作れ
    心に美しい火を燃やし
    人生は尊かったと叫ばしめよ

「君がいるから」

 久しぶりに「こども劇場」の例会を見に行った。わが家の子どもたちは「こども劇場」の例会をみて成長してきたともいえる。今回の劇は劇団CAN青芸さんの「君がいるから」、会場は公民館のような施設の少し大きめのフロアーの部屋で、前方にちょっとした飾りつけ、客席の一番前はござを敷き、その後ろに3列ほどの長いす席があった。こどもたちはござの上に座らせ、舞台と客席に段差のないこじんまりとした例会だった。こういった雰囲気の劇は本当に何年ぶりかだ。出演者の汗が顔を伝わってぽたぽた落ちるのが見える、こんな観劇は観客席も舞台との一体感がありいいものだ。

ミヒャエル・エンデ

 今日の新聞の1面に広告がある

     エンデ幻の名作 ついに邦語訳出版 - 「影の縫製機」 

 私の中でミヒャエル・エンデといえば「ネバー・エンディング・ストーリー」・「もも」ぐらいしか知らないが、非常に印象的な記憶だ。

 「もも」の読み始めは物語の中に入りにくかったが、その後グーッと引き込まれ、独特の世界を感じさせるものだった。その後、山梨にも劇団が来てこの作品を演じたとき見に行った。「時間をめぐる内容を演劇でどう表現するんだろう、そんな抽象的なものがうまく表現できるのだろうか」とあまり期待もせずに行った。詳しいことは忘れてしまったのだが、時間泥棒たちが時間の葉巻をスパスパと吸って、うまく表現するものだなと感心してしまった。このときも演劇を見た後の心地よさをたっぷりと感じて帰ってきた記憶がある。

 「ネバー・エンディング・ストーリー」は映画からはいった。その後、本を読んだが、その独特の世界にやはり読み終わった後の心地よさの残る小説だった。

 今日の新聞のような売り言葉に飛びつくようだが、エンデというと読んでみたくなる。近くの図書館に要望してみようかな。

松居直さん講演会


 家内にすすめられて、松居直(まついただし)さんの標記の講演を聴いた。 松居さんの講演は3年ほど前にも一度聴いており、今回は2回目だった。前回の講演の記憶はもうわずかだが、そのはなしに引き込まれた印象は強い。
 大学生とのこんな会話が合ったそうだ。
    「絵本はひとに読んでもらうものです。」
    「大人になってもですか?」
    「そうです。」
そして大学生に絵本を読んであげたところ、学生も「絵本てこういうものだったんだ。」と納得したそうだ。
 同じ絵本を何度も何度も読んであげる大切さや、素晴らしい絵本の紹介など盛りだくさんだった記憶がある。


 今回の講演でも松居さんの言いたかった核心も同じものなのだろう。はなしを聴きながら前回の記憶がよみがえってきた。
    「ことばは親から子につたえるもの」
そんなことが今回の中心テーマだったように思う。子どもが2~3才のころ、子どもは毎日同じ絵本を読んでもらいたがる。そして毎日読んでやっていると、そのお話を丸ごと憶えてしまう。松居さんの言葉では、「丸ごと食べてしまう」のだそうだ。そしてこの能力は文字が読めるようになると消えてしまう。こんな話がワンフレーズ話し終わるごとににこやかな笑顔を見せる。松居さんは自身の家族の絵本を通した幸福感を語り、聴いている人たちはそれに共鳴した、そんな講演会であったように思う。


 これは又聞きの話だが、以前の松居さんの講演会でのはなし、

    最近、息子から、
      「非常に印象的に自分の中に残っている言葉の世界がある。
      それはおやじがよんでくれた本なのだけれども何の本かわかるか?」
    と聞かれた。
      「おやじはその本を読んだことすら忘れている、だけど僕は憶えている。」
    というんです。『しずかなおはなし』でした。その
    言葉とイメージとリズムとこの言葉の世界と
    いうものがはっきり自分の中にある。自分が何かを表現しようとするとき、その力となる。」

    というんです。そしてそれは親父の声で残っているのだというんです。そういうふうに子ども
    の中には、読み手の声で残っていくのです。

こんな風に子どもの中に親の読んで聴かせた言葉のリズムが生き続けている。何て素晴らしい親子のありようだろうと思う。