再度、木村秋則さんのこと

 番組の後、「木村秋則」さんをキーワードに検索してみた。前々からのページがあったり、番組の予告をしているページがあったり、また番組の感想を書いた人がいたり、これはもうたくさんの情報が得られる。以下のURLでも長い文章で木村さんのことが紹介されているし、番組では紹介されなかった話も載っている。

        http://www.kagaribi.co.jp/15-4.html

 この文章の冒頭には、「農薬を撹拌するのが子ども時代の手伝いだった」と記されている。こんな文章を目にすると、私たち自身の子どものころも思い出す。私の家は長い間ビールの原料であるホップの生産農家だった。蔓性の植物であるホップがある程度しげると定期的に消毒をするのだった。消毒は1~2週間に1回くらいだったと思う。畑の脇に浴槽よりも大きい水槽があり、その中に消毒液であるボルドー液をつくる。石灰はどうしても沈んでしまうので、これをかき回すのが子どもの役目だった。先日の番組中の手消毒と同じようにホースの先についた噴霧口をもって、畑の中を端から端まで消毒して歩く。一つのさくが終わるとホップのつるの間をくぐって次のさくに移る。消毒をする父は噴霧口をもって移動するのだが、ホースを次のさくにたぐり寄せるのはまた子どもの仕事だった。薬剤をあまりかぶらないようにと、私たちもひさしの広い麦わら帽子をかぶっての作業だった。父の使っている麦わら帽子は消毒剤のボルドー液で真っ青だった。ホップ畑の脇には養蚕のための桑畑があった。両親は消毒が蚕に影響を与えぬようにと、散布時期など気を配っていた。

 前記のページには、「この農薬を散布した後には、リンゴ畑の周辺にドクロ印の描かれた三角旗を立てることになっていたんですよ。」なんて文章も見受けられる。ホップ畑でも、寄生虫を駆除するための茎への塗り薬を塗ったとき、周囲に注意を呼びかける表示を畑の周囲に表示していた。

 当時に比べれば消毒剤など周囲や健康への影響を考慮されてきているとは思うが、この文章に語られている光景は科学農法ではいたるところで当たり前のように行われていることだろう。そこで育った私たちも、特別な疑問も持たずに大人になってしまった。私は今でこそ、そのことについて多少の疑問も抱くようになってはいるが、その先に踏み出しているわけではない。生活に追われつつも本質的なものに真正面から取り組んで長年苦しみ、そして道を切り開いた木村さんの偉大さを思わずにはいられない。

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