カテゴリー別アーカイブ: 音楽:私の音楽ノート

第8回さらりと音楽談義

7th音楽談義1
先月は大雪の直後で断念、2か月ぶりの参加でした。今回のモチーフは~楽器の歴史~。
会場である部屋に入ったところにテーブルが置かれ、その上にお花がいけてありました。お花と藤原先生のヴィオラ・ダ・モーレによる「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に迎えられました。贅沢!

集まったのは先生・スタッフを含めて16名、2か月ぶりに参加すると「ずいぶん大きい集まりになってきたな」と感じました。

7th音楽談義2

先生の話が始まりました。楽器には動物の臓器が使われたこと、胃や小腸(ガット)など。動物の胃が楽器の胴の部分に使われたことなどがポスター様の印刷物で紹介されました。ガットといえばテニスラケットに張る糸を思い浮かべますが、弦楽器の弦にもガットが使われてきており、柔らかい音色だが伸びやすく長持ちしない、しかし現在もこだわりのある演奏者はガットを使うそうです。一見金属弦のように見えるものもガットの上に細い金属線をきっちりと巻いてあるとのこと。植物では葦が話題になりました。あし笛もありますが、オーボエやファゴットのリードは葦で作られてきているのだそうです。

ヴィオラ・ダ・モーレの「ダ・モーレ」という言葉は「愛」をあらわすこと、レストランなどの店名にもよく使われ、この名前の競馬馬もあったがあまり強くはなかったなんて話には笑いを誘われました。ヴィオラ・ダ・ガンバの「ガンバ」は足を表わす言葉、だからサッカーチーム名にも使われたりしているが、楽器に使われるのはその楽器が足の上に乗せて奏するような楽器であるときだとか。

インドにシタールという共鳴弦のついた楽器があり、それがヨーロッパに伝わって共鳴弦がついたヴィオラ・ダ・モーレが生まれた。またシタールが東洋に伝わり琵琶がうまれた。両者はよく似た楽器で調弦や奏法によってはヴィオラ・ダ・モーレで琵琶を奏しているかのような演奏ができることを、実際に演奏してみせてくれました。

7th音楽談義3

今回は参加者が取り囲んだ中央にはヴィオラ族の楽器が3台並べて置かれていました。手前の一番大きなのはテナー、中央はバッハの生きた時代に作られたもの、そして一番小さなのは日本で作られたもので、楽器頭部の装飾は観音様をかたどってあるものでした。

7th音楽談義4これはバッハの時代のもの、ネック部の模様は木の木目を活かしてあるようです。音を出すという目的以外に視覚的な美しさへのこだわりもたくさん見えます。

休憩時間にはそんな楽器を自由に触れさせてくれ、そのあいだにさりげなくヴィオラ・ダ・モーレを演奏してくれます。一曲目は「アルペジオーネ・ソナタ」(というらしい)、二曲目は即興で先ほど書きました琵琶風・琴風に調弦して演奏を聞かせてくれました。演奏の間に照明を落として(どうやら先生がスタッフに合図を送ったようです)その場は東洋風な雰囲気に。
ここでの話題は「楽器」といっても弦楽器が中心になりますね。ハープが元になってヴァイオリン等、多くの弦楽器が派生していったのだそうです。

話は変わって先生が関わって年一回開催されている笛吹音楽祭のこと、ここには聴覚障碍者の方を招待しているのだそうです。たとえ聴こえなくても音楽、そしてその場の空気は伝わるのだということ。聴覚障害をもった有名な打楽器奏者もいるのだそうです。イギリスという国はかつて世界中への植民地拡大策で悪いこと(?)もしたかもしれないが、障害者のことについては先進的な国で、パラリンピックはイギリスで始まったし、現在この国ではどんな障害があっても大学が受けられるのだそうです。

以上、思い出せる範囲での話題の紹介です。最後に参加者全員に自己紹介でも感想でもとはなしを向けられました。決して一方通行にならず、集まった人全員で和やかにこの会を育てていこうという先生やスタッフの配慮が嬉しいですね。。
スタッフから「最後のしめはやっぱり先生の音で」、と向けられ、「荒城の月」のメロディーがちりばめられた即興演奏で今回の会を終えました。

分離唱の合唱in国分寺(1月)

国分寺の合唱がありました。今回の参加者は、S:4,A:3,T:4,B:3と少人数ながらなかなかよいバランスでした。

いつものように分離唱から、そのあとは例によって讃美歌です。

しずけきいのりの
主よこころみ
ガリラヤの湖畔
神ともにいまして
かいぬしわが主よ
やさしくともをむかえよ
こころのおごとに
ひとたびは死にしみも
むくいののぞまで
しずけきかわの

からたちの花

「主よこころみ」は四声のピアノに合わせて音を確認、さらに「やさしくともをむかえよ」は冒頭数小節の和音を一つづつ追って合わせました。こういった練習をすると唱いながら音が下がりがちだった傾向がかなり改善されるようです。さらに、同じ和音が今まで感じていたものと違う感じにきこえてきます。いつもよりちょっと厳しくかつ濃い練習だったかな。

休憩時間に男声合唱3曲

Adoramus te
今は若き子
夏の夜の星

男声合唱、拍手はまばらでしたね。(笑)

練習後半は

渓川したいて
はるかに
雲雀
うぐいす
緑の森よ
すすき
よしきり
光のお宮
われは幼く

難曲の「渓川したいて」も指導者:Mさんによるとだんだん様になってきているとのことです。その後は外国曲を、あとから「すすき」など日本の曲をと、いつもとは逆の流れでした。こうして外国曲の後に日本の曲を唱うことで、日本の曲のよさが再認識できたように思います。

今回は少なめの人数でしたが、充実した練習でした。

はつはるコンサート

韮﨑文化ホールのエントランスホールで地域の合唱団「甲斐混声合唱団」のミニコンサートがありました。韮崎市の隣、甲斐市の団体です。会場は大ホールと小ホールを結ぶ広い通路のようなところに50席ほどの椅子を並べて、団員がすぐ近くにいるアットホームなコンサートでした。

プログラム

Ⅰ 混声合唱

早春賦
赤いサラファン
琵琶湖就航の歌
ふるさと(嵐)

Ⅱ テノール独唱  Tostiの歌曲より

Malia (魅惑)
La Serenata (セレナータ)

Ⅲ 混声合唱のための組曲「蔵王」より

蔵王讃歌
苔の花
早春

アンコール

麦の歌
365日の紙飛行機

トータルで40分程のコンサートでした。総勢19人、うち男性5人。ここの指導者は高校時代の同級生、団員の中にも知っている顔が3人、というわけで私も聴衆となりに。Ⅱステージの独唱はその同級生、声楽を学んできたこの方の歌声を初めて聞きました。それから合唱の中のアルトソロではやはり知っている方が。私たちと趣の違う合唱で、異なる世界を見せていただきました。「通常の合唱団って歌うことのエリート集団なのかな」なんてことがちらりと頭をかすめました。

「蔵王」は学生時代、佐々木先生の指導を受ける前に歌った曲、なつかしい。当時は自分のパートをひたすら歌って他のパートには耳が行かなかったのですが、その経験の通りに歌ったパートを追っかけて聴いていました。「楽譜を見れば今でも歌えるのかな」、なんて思いながら。

プログラムが終わったところで拍手と同時にすぐ前にいたおじさんが「アンコール!」と大きな声。そこで1年前のNHK朝ドラ曲「麦の歌」、聞き手が喜ぶ曲をしっていますね。これが終わった後さらに同じおじさんが「もう1曲アンコール」、いいおじさんですね。最後は今放映中の朝ドラのテーマソングで終わりました。

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食事と讃美歌

先日、お気に入りのお店「珈音」に行ってきました。この日は今年最後の営業日、この店の人気メニューのカレーセット・飲み物付き。カレーも美味しかったですが、コーヒーも香りよく味わいました。自分でいれるのと何が違うのでしょうか?

偶然、11月の「さらりと音楽談義」で一緒になったKさんにもあうことが出来ました。音楽談義では「ゆる体操」を教えてくれましたが、その話もうかがうことができました。Kさん自身のこだわりで行き着いた健康法のようです。若い方ですが大きなもの大切なものをもっているんですね。

 

ピアノ他

それからしばらくして、12月の「さらりと音楽談義」で初めて見えた方のピアノの先生の夫妻が見えました。「さらりと音楽談義」はもともと珈音さんの紹介で私たちも参加するようになったのです。この集まりの様子を珈音さんとともにおはなししたところ、この夫妻も仲間になってくれそうです。閉店時間となり帰る間際、年末ですから『きよしこの夜』を一緒に歌おうということになりました。夫妻の旦那様はピアノ調律師だとのことでピアノ伴奏をしてくれました。そして奥様はなかなかの美声の持ち主、ソプラノ2人、アルト1人、バス1人、そしてピアノという構成で歌いました。部屋の残響もほどよいのでしょうがなかなかよい雰囲気で歌えました。その夫妻が帰られた後、珈音さんと私たち夫婦でもう一曲「神のみこはこよいしも」、これはソプラノ・アルト・バス各1名。楽譜無しでしたが楽しくハモることが出来ました。食事もコーヒーも、そして讃美歌も、満足感たっぷりの時間でした。

こうして三声で楽しむと更に欲求が出てきます、やっぱり四声で歌いたい。一緒にハモってくれるテナー、いないかな~!

クリスマス

今日はクリスマス・イブ。我が家も人並みに・・・・。

クリスマスケーキ

ケーキは家内の友人の手作りです、腕はプロ並み。商業ベースにのったものよりはるかに美味しいな。実家で母と共に夕飯とケーキでクリスマス。そして自宅に戻ってもう一度。ろうそくをともして歌いましたよ、降誕の讃美歌。男声のソプラノと女声のアルト、女性のソプラノと男声のアルト、女声のソプラノと男声テナーといろいと。男が高い声の方が実際には声が近くてよいかもしれません。ささやかなクリスマスです。

さらりと音楽談義(第6回)

今回も参加できました。体調が悪い人もありちょっと少人数、今回のテーマは「暮れの音楽」でした。

 

6thさらりと3

まずは暮れを代表する曲「第九」の話題。
「合唱」ともいわれますが、藤原先生によると「これは交響曲として書いたもの、たまたま合唱をいれた」とのこと。暮れとは関係ないが、日本の第九の初演は捕虜収容所でのことだそうです。第一次世界大戦では日本は連合軍に加わり、ドイツが占領していた中国・青島(チンタオ)を攻めていって制圧、戦後ドイツ人捕虜を日本全国に収容、徳島でも収容した。ここでは捕虜の人権を認めて自由にさせた、例えば音楽、園芸、スポーツ等々。そしてこの収容所で日本で最初に「第九」を演奏したのだそうです。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」でも西南戦争で敗れた捕虜の人権を認め養蚕・生糸の技術を学ばせて社会復帰しやすくした場面がありましたが、ちょうどそれを連想させるおはなしでした。

続いては「きよしこの夜」の話。
これは1818年に生まれた曲、オーストリアのザルツブルクでのこと、教会の牧師さんが村人のためにクリスマスを賑やかに、歌をつくってみんなで歌おうということで自分で書いた詩に対して曲をつくってもらったのだそうです。教会ではオルガンが壊れていたのでギター伴奏ではじめて演奏された。それが周囲に広まり世界中にひろまった。日本には宣教師が持ってきて、教科書にのったことから宗教心なしに歌われるようになった。さらに有名な話として、フランスとドイツの国境で戦争中、塹壕に入っていたドイツ兵がもみの木をもってこの歌を歌いながら出てきた、フランス兵もそれにならって歌い出した。これがクリスマスの一時休戦の始まりだそうです。また日本では歌詞は3番までしか馴染みがないが、4番には平和が歌われていて、作者としては4番こそ歌ってほしいのだそうです。讃美歌の大好きな私たちには興味深いおはなしでした。

明治期、西洋音楽を取り入れたとき急いで音楽用語を翻訳・造語したのだそうです。しかしその造語にはふさわしくないものも多々あるとか。そんなことから「休符」・「フェルマータ」・「アフタクト」などの音楽用語についても、「あ、そうなんだ」と改めて納得のおはなしをいただきました。

最後に藤原先生のヴィオラ・ダ・モーレの演奏の「愛のよろこび」、そして先生のこの楽器の伴奏で「きよしこの夜」をみんなで唱ってテーマ「暮れの音楽」らしくこの会を終わりました。

 

6thさらりと1

会場の今回のおしゃれなワンポイントは円形に囲んだ参加者席の中央の机の上。中央に大きな松ぼっくり、その周りに楽器を演奏するかわいい天使の人形など。更に参加者各人にクリスマス・カード付きのスイート・ポテト、主催者さんのうれしい心遣いでした。

6thさらりと2

劉薇さんの健康食事法

「ヴァイオリニスト劉薇さんの実践的健康食事法を学ぼう」

という催しに行ってきました。10年前、医師から腎臓病のため人工透析が必要と宣告されながらも食事法で今も元気でヴァイオリニストとして活発に活動している劉薇(リュウ・ウェイ)さんの直接の話を聞き、その食事をいただく会です。

突然腎臓病といわれながらも医師に言われるがままでなく、自分の身体や心に問いかけながら病気に向かい合っているおはなしに感心しました。医療が多分に対症療法的であるとは感じていましたが、ここでもそんなおはなしが聞かれました。透析は1回に5万円ほどかかるとか、それが公の医療費で自己負担はほとんどなく受けられるそうです。でもそれは国民全体のお金が使われること。腎臓病患者数は膨大である上に日々増え続けている。自己負担がないからと問題意識を感じることなくその治療に入っていってしまうが、公の医療費破綻は目に見えている。そんな心配を日本に生まれ育ったわけではない劉薇さんから問題提起されました。透析という治療がいいのかどうか、どうしても必要な方もいるのかもしれませんがそうともいえない患者さんもたくさんおられるように思いました。そしてその治療は自身が決めること、医師の理詰めの説明に何も考えずに従ってしまうのではなく、自分で情報を集めて自分で考えて、自分が本当に望むことを選択していくことの大切さを話しておられました。

 

薬膳ランチ

1時間ほど話を聞いた後は劉薇さんの”薬膳ランチ”です。この日のランチはサラダ付きのカレー、雑穀のご飯に様々な食材の入ったカレーでした。カレーはドロっとしたものではなく自らブレンドしあまり煮込まないもの。食材の堅い食感が残っていた方が素材を味わえ、咀嚼で脳を刺激していいのだそうです。劉薇さんの伝えたい食事法・調理法は劉薇さん自身が実践しているものを定型的に教えるものではなく、その人その人が独自に感じ考えて、自分で作っていくものであるようです。写真には写っていませんが、後からデザートがでてきました。これも砂糖は全く使わず、使った素材のもっている甘さのみという事でしたが甘味も十分の上品な味わいでした。砂糖を摂らないことも勧められましたね。

最後に劉薇さんのバイオリン演奏を2曲聞かせていただきました。食事法・日々の生活は柔軟に、でも自身の音楽については厳しく求めていく、そんな心も教えていただいてこの集まりを終えました。

 

我楽舎

会場はオリジナル木工家具の我楽舎さん、玄関の様子はこんなです。こちらではまた他のライブの計画もあるようです。

第5回さらりと音楽談義(続き)

この集まりの様子を思い出しながら書いていると、また別のいろいろな思いが湧いてきます。日本のよい音楽がなくなっていくのではないかという事が話題になり、よいものはなくならないのだとの強い言葉もいただきました。

そういえば私たちは佐々木先生の下、実に多くの日本の情緒豊かな曲を唱ってきたのです。当時は井上陽水や小椋桂のアルバムが大ヒットし若者の音楽として大きな存在感だったのですが、そんな中私たちはアカペラ合唱で歌う日本の情景を唱った曲に浸かっていました。山田耕筰をはじめとする日本の作曲家の名曲の数々、民謡の「もつこ」・「南部牛追唄」・「稗搗節」等々、童謡の「どんぐりころころ」・「まりと殿様」・「ずいずいずっころばし」・「通りゃんせ」等々、「汽車ぽっぽ」も童謡になるのかな。そしてこのブログのタイトルである「すすき」も名曲です。

現代の子どもは汽車を見たことがないのだから、「汽車ぽっぽ」も消えてゆくのは仕方がないといった言葉を聞いたことがあり、なるほどなと思ったこともあります。でもやっぱりこんな曲、残ってほしいですね。「すかんぽの咲く頃」の、

土手のすかんぽじゃわさらさ
昼はほたるがねんねする
ぼくら小学尋常科
今朝も通ってまたもどる
・・・・・

なんていうのは私たちの世代から見ても古い情景です。でも、なんともいい光景が心の中に広がります。
「かえろかえろと」の

・・・・・
はたのタマネギ たたきたたき帰る
・・・・・

なんていうのもいいな。挙げるときりがありませんね、これら名曲の数々、残していただかないと!

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第5回さらりと音楽談義

行ってきました、今回のテーマは「音楽」。

参加者の一人の提案で、フランスでのテロの犠牲者への黙祷ではじまりました。テロについても話題となりました。力で解決はしない、テロの発端は貧困、だから貧困をなくすことこそ大切だと。

音楽とは、元来科学も天文学も含んでいた、森羅万象あらゆることが音楽であったとのこと。音楽とか天文学とか、なにかと分けたがる傾向があるがそれは好ましくないというようのおはなしがありました。アメリカは最初から違う民族・人たちが集まっているが「分けたがらない

」。しかし日本人ははじめから単一民族、みんな一緒なのに「分けたがる」のだそうです。音楽からはじまって、音楽を超えた広い範囲のはなしに広がってしまいました。

「みんなどんな音楽を好んでいるのか」という一人の問いかから、
「私たちは日本の音楽、芸能を理解していないことに気づく」

との話があり、そこから日本の伝統文化・伝統音楽の話に。

「明治期、西洋音楽が入ってきて日本人は劣等感を持ってしまった。」
「日本は西洋音楽を取り入れようとした。」
「日本の音楽、邦楽などは西洋音楽からみると独特のもの、西洋音楽の合理性にはまらないものがある。」
「わらべうたなどもなくなってしまうのではないか。」
「それは教育方法にも責任がある、日本の名曲『荒城の月』も教科書からなくなってしまった。」
「しかし本物は残さなければいけないし、残っている。快いもの・美しい状態を人間は共通して持っている。だから本物がなくなることはない。音楽が変わってきていると言っても表層が新しいものに変わっているだけだ。」

等々。

今回は「音楽」という大きなテーマでしたが、ここに集まってくるのはそれぞれが音楽好き、音楽を話し出したら止まりません。先生だけでなく次々と参加者が発言して今回の会は展開しました。このような会になっていくのも、私たち素人のはなしを受け止めてくれる藤原先生の人柄が大きいように感じました。話していてあっという間に終了予定の時間を過ぎてしまい、先生が

「じゃ、今日はここまで」

となったのですが、そこは先生の音楽を楽しみに来ている人たち。

「そんな~!」
「一曲お願いします。」

と。そこで先生も、

「じゃ、即興。」

と、ヴィオラ・ダ・モーレを演奏してくれました。話題の端にのぼったシェーンベルの12音階を意識されたものだったのでしょうか。落ち着いた調正というのとはちょっと違った曲、弓は通常、駒のネック側をこするものなのでしょうが、時には駒を乗り越えてあご当て側を動いたり、同時にピチカート風に指で弦をはじいたり、さらにはネックの裏側に出ている共鳴弦も指ではじいたりと

、まさに自由自在の演奏。曲が終わった後、

「こういう奏法があるんですか?」

との質問には

「あるんだよ」

と平然といいながら、「何でもあるんだよ」と。そんな即興演奏でこの日の会は終わりました。

5thさらりと1

いつも楽しみな今回の会場の装飾。円形に並べた長机の中央に長机を2脚、その上にこんなものが。黄色い色はイチョウお葉で周囲には松かさのようなものが配置、写真に映っている以上にきれいだったんですよ。

後輩達と

かつて一度書きましたが、私が卒業して間もない頃に一緒に男声合唱を楽しんだ後輩の仲良し四人組。毎年集まりをしているその輪に今年は私も入れてくれるとのこと。立川で一泊して翌日は国分寺・分離唱の合唱に参加という計画に私も飛びつきました。

彼らは大阪・岐阜・愛知・宮城からそれぞれ上京、上野:国立博物館やら浅草やらスカイツリーやら東京観光を楽しんで、夕方に私が合流ということになっていました。そんな彼らが上野公園の雑踏の中でかつて一緒に唱った彼らの一年後輩にばったり会ったとか。その後の予定を変更して公園内で座るところを探してしばらく旧交を温めたそうです。私に声をかけてくれたことといい、本当に温かい友人達です。

ホテルで合流してすぐに居酒屋へ、実に様々な話題が飛び交うのですが、出た話題の一つが映画「じんじん」。映画の内容からドリアン助川さんの絵本の話、剣淵町のはなし、そしてNHK「小さな旅」のはなし(これは私が紹介)。こんな話で盛り上がる我々おじさん達、改めて考えるとあの剣淵の居酒屋で絵本を語っているおじさん達とそんなに違わないではないですか。「うん、これもいい光景だぞ。」と。4時間ほどの楽しいひとときはあっという間でした。

そして宿に帰ってまたまた持ち寄ったお酒を飲みながら延々と。なんと言っても一緒にハーモニーを楽しんだ面々、話は尽きません。もちろん、かつて私たちの輪の真ん中にいて2年前に亡くなったKさんのことも。翌日の合唱に差しつかえるからと午前2時に散会しました。

翌朝は雨、朝食後都合で帰るKさんを送ってからまた部屋に戻って30分程唱ってみました。なんと言っても久しぶりの合唱、耳が戻るかどうか心配なのです。で、ソプラノもアルトも男声で讃美歌を数曲。

「ウーン、どうかな?」

というところでしたが、ほどほどに切り上げて早めに国分寺:佐々木先生宅に向かいました。国分寺の合唱の指導者Mさんの大鉈に期待です(笑)。