鏝絵を手がける有名な左官さんがいた津金、ここには狭い範囲に数多くの鏝絵が残されています。私が見つけたのは16カ所。老朽化していく鏝絵の修復をここの左官さんが引き受け、そのおかげで今も多くの鏝絵があるのだとか。その「津金の鏝絵」を紹介します。
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下原1
津金の知り合いに鏝絵について尋ねると「行ってごらん」と教えていただいたのが下原部落。津金に入ってすぐに東に向かい、川の南側の山裾にある集落。この集落に入ってまず登場するのがこの蔵、その鏝絵「松に鷹」、白壁も大分黄ばんで鏝絵部分にも蔦が這ってしまった痕跡が見えます。
下原2
こちらは新しくてきれいな蔵。やはり「松に鷹」、黒い背景に葉の緑 、きれいに仕上げた作品です。裏側にも鏝絵がありました、これは「波に千鳥」かな?
下原3
道路からちょっと奥まったところに見える蔵。首のあたりが 太った肉感豊かな「松に鷹」、ピンク系の柔らかな色遣いです。道路から撮るのではこれが精一杯、もっと近くで鮮明に撮りたかったな。
和田1
通常の蔵印の位置ではなく、蔵の正面側にありました。黒を背景にした大黒様、珍しい雰囲気です。
和田2
上の写真、銅で作ったかのような色合いの竜で凄みがありますね。下の鷹の鏝絵はこの家のご主人さんが自分でつくったものだそうです。プロ並みの腕前。
和田3
「砕ける波」でしょうか、モノクロでシンプル。庭木に覆われて見落とすところでした。
御所1
「波に鶴」、この蔵には近づけず、川を挟んだ撮影でした。
御所2
こちらは蔵ではなく、朽ちかけたトイレの明かり窓。この月の形、風月堂の壁看板と同じ職人さんの作品でしょうか。
御所3
鶴に松・波でしょうか。蔵に隣の建物が近接していて、わずかな隙間から斜めに撮りました。きれいな鏝絵がよく見えず、もったいないな~。
御所4
丑鼻は家紋ではないと思うのですが。象形文字でしょうか、「水」かな?丑鼻の下、窓上には兎が2匹。
御所5
鏝絵は道路の反対側です。古いスズメバチの巣が二つ、同じ場所にくり返しつくるものなのでしょうか。この鏝絵も家紋ではなさそうなので載せました。やはり象形文字でしょうか、これも「水」?
御所6
新しくてきれいな大黒様です。そのしたには「ha ya ka wa」とこの家の姓が塗り込まれています。おしゃれな感覚!
御所7
かつての商店「油屋」の鏝絵看板。 その上には富士山がかたどられています。そして蔵印には「波に千鳥」。波は立体的に作られており絶品です。
大和1
津金の中では北端に位置する大和部落。鏝絵は2カ所、これは「波に鶴」。
大和2
この蔵は両側に絵柄の鏝絵。
東側は「波に千鳥」。
西側は「寿老人」、長寿の願いです。
海岸寺
石仏群で有名な海岸寺にも鏝絵があります。石仏群から奥まったこの建物、何て読むんでしょう?
右上:この倉風の建物の入り口上に施された鏝絵
左中:西窓扉が開かれてその内側に描かれています、ぶどうかな?
左下:東窓の上、鳳凰が繊細に描かれています。
右下:東窓扉の内側、こちらは唐獅子。
明治校舎
ここ津金の「三代校舎ふれあいの里」は明治・大正・昭和時代の3つの校舎を保存再生した施設で津金のシンポルとなっています。このうち藤村式建築の明治校舎(写真左上)は須玉歴史資料館となっており、2階にはすでに解体してしまった建物に残っていた鏝絵が数点保存されていて閲覧することができます。そのうち絵柄は2点、家主の姓のまわりに凝った装飾を施したもの、そして大波の上を飛ぶ鶴を描いたもの、いずれも精緻な作品です。ただ、これらの作品はガラスケースにはいっており、写真では残念ながらガラスの反射で周囲が映り込んでしまいました。
展示資料によると津金の鏝絵のほとんどは三井貴男さん・堀内秋男さん兄弟によるものだとのこと。左下は大黒様の鏝絵の下絵で堀内さんの息子さんからこの資料館に寄付されたもので、す。
なお、津金の職人さんは群馬で鏝絵を学んだのだと資料館の職員の方からうかがいました。茅野方面とはまた異なる鏝絵文化の流れのようです。