心を養ってくれるもの

Y.K.

 所々に気の早い彼岸花の開きかけたつぼみが見うけられる。足もとの地面にはそばの苗がのびはじめ、白い花をつける日も近いことだろう。-故郷の高き青空なつかしき地にあわあわとそばの花咲く。-故郷、山梨の峡南の地が私の故郷である。私の心を養ってくれた地面、山、空、今年もまた夏合宿は終わり、故郷にも秋がやってきた。
“歌は心の故郷”という言葉をきいたことがある。私にとって歌とは、合唱団の歌、そしてそれを象徴するのが夏合宿である。今、あの合宿をふり返ると、少人数で※聖木曜日のレスポンソリウムをハモった時の自分らの姿が思い出される。それが今度の私の夏合宿を象徴していると思えるのだ。何のこだわりも、無理も、背のびもなく、あるがままの自分で声を出して仲間の声にとけこんでいた。自分の声、高さの違う複数の声が相和して響き、快く耳にしみ通っていく時の喜び、「ああ、ここにも私の心を養ってくれるものがある。」と感じた時、純粋で透明な感動が自分のものとなった。
1年の頃から考えると、大きく変化したことを感ずる。一言で言うなら、精神的なぜい肉をとれた、ということだろう。何よりも良か

ったのは、ギラついた野心がなくなり、おおよそものにこだわることや変な執着がなくなったことである。ありのままがいいではないか、自分をそれ以上にもそれ以下にも見せかけようとすることなく、謙虚に、それでいて向上のための努力を忘れなければそれでいいのではないかと思うようになった。今はずっと自然に生きている。 メッキは、いくら厚ぬりをしたところでいずれはひび割れ、はげ落ちていく。外見をとりつくろっただけのものは所詮“虚飾”に過ぎない。人間は、自分の周囲のすべての虚飾を取り去った時、本当の自分の姿に気がつく。何の見せかけもない、あるがままの自分。その自分とは何か、また、その自分がこれから何をしようとしていったら良いのか、それが全ての原点となるものであろうと思う。
今回の合宿で、合唱団のハーモニーが、人間関係が、音楽が、私の心を養ってくれていたことをはっきりと感ずることができた。そしてそれによって私は、少しでも自然の状態に近づくことができた。自分にそのような機会が与えられたことを感謝したいと思う。
※おととしの大曲

 

 

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