絵本の読み聞かせが文化になっている剣淵という町をTVで見て、私自身もすばらしい町だなと感心しました。その剣淵町に限らず絵本の「読み聞かせ」はずいぶんと普及し、なじみのある言葉になりました。
一方、「素語り(すがたり)」ということばは「読み聞かせ」ほど馴染みのあることばにはなっていないように思います。そこでもう一つ、「素語り」についても書いてみたくなりました。
「素語り」はどうも朗読とは違うらしい。昔話や民話などをおぼえししまって語って聞かせる(新聞記事で、「暗記して」と表現した人もいましたが、これはちょっと情緒が感じられないな)。まるおぼえして、おはなしを自分のものにして語るものらしい。もうかなり前(20年くらい)からたびたび聞く機会があったのですが、これがまたいいのです。絵本の読み聞かせは聞き手には絵が見えてしまう。それは絵の世界とおはなしが融合して楽しめるのでしょうが、視覚的に見えてしまうものに縛られてしまうように思います。素語りではおはなしだけがはいってきて聞き手が空想をふくらませる、これがいい。我々が子どもの頃(小学校中学年まで)はラジオの時代でした。毎日流れてくるラジオドラマに聞き入って、頭の中で場面を描いて聞いていました。そんな時期を経験してきた私たちだから「素語り」がすんなりと楽しめるということもあるかもしれない。でも、映像も一緒にはいってきた中で育った人たちよりもより豊かなものがあるのではないか、なんて生意気に思います。頭の中で場面を描く経験は今の子ども達にもきっとよい成長をもたらしてくれるのではないでしょうか。現代の生活で子どもに「ラジオをききなさい」ともいえないし、また多くの人が楽しめるラジオドラマもないだろうと思います。そんな私たちが素朴な語りの中で想像をふくらませておはなしの中に入り込める「素語り」にも「読み聞かせ」同様に多くの人が関心を寄せてくれたらいいなと思います。
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