ポスターに関連して

 「米の作りすぎは、もったいない」ポスターに関連して、私自身の考えがどうなのかもう少し整理してみたいと思います。
 私たちの食が「生命を食べる」ことだとすると、
        「農は健全な生命を育てること」
        「農業は健全な生命を育てる仕事」
ということになります。生命を育てている農業に価格競争はいかがなものでしょうか。健全に育てられた生命に価格競争を求めるのはおかしいと思うのです。「できることなら自分が食べるものは自分で育てたい」、そう思うのが自然ではないですかね。
 「自然農学びの会」に行ってはなしを聞いていると、はじめ野菜作りから始めたとしても、行き着くところは米の生産(稲作)にあるように感じます。主食を自分で生産してこそ・・・・、ということなのでしょうね。確かに主食である米を自分の手で納得のいくようにつくる、このことこそ大きな目標であると思います。
 しかし、年々の稲作の減反がすすみ、販売せず自給のみが目的の家庭にも減反の割当がくると聞きます。「自分たちの食べる米を生産するだけの土地があるのにそれだけ作らせてもらえない」、これは当事者としては納得のいかないことになることでしょう。「米を生産し供給してくれる農家を守るのか、それとも自給する小規模農家を守るのか」という選択になってしまうのでしょうか。日本の最近の農業政策は、海外で生産する安い農産物に対抗するには大規模農家を奨励し、競争力の大きな農家が生き残る手助けをするということのように思えるのです。

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