山形南高OB合唱団についての特集記事、このところさぼってしまいました。最終章です。「冒頭に25年前のはなし」とありますが、この雑誌が発行されたのが1961年。そこから25年前ですから、もう3/4世紀ちかくも前の話になりますね。
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満たされざる心
むかしむかしの話だ。25年もまえの話。
東京音楽学校(いまの芸大)を卒後の佐々木基之氏は、東京の小学校(文京区金富小学校)に奉職した。若い佐々木氏の心のなかには、当時の音楽教育にたいして、決して満たされていたわけではない。いや、むしろ、何かが、根本的ななにかに欠けているとする、激しい不満があったものだ。
音楽教育に欠けているもの、それは何か。それを満すには方法がいる。それを果すにはどうすれはよいか。佐々木氏の苦悩は、周囲からは、変わった目でみられたものだという。何もしなくてもすむのが、教師という職業といったら怒られるかもしれないが、ささやかなわたしの経験からも、何人かの、毒にも薬にもならぬ連中がいるものだということは否定できないようだ。また逆に、やりだせば限りないひろがりをもつ、貴い職業だということも知っている。佐々木氏の態度が典型的な教師のものでなかったのかもしれない。とにかく、佐々木氏の頭の中は、この何かを求めることで、いっばいだったのだ。
そんなとき、音楽学校の同輩で友人でもあった園田清秀氏(ピアノの高弘氏の父君)の宅を訪ねたことがあった。たまたま、そのレッスンの場にいあわすことになった佐々木氏はレッスンをきいているうち、ハッとあるひらめきを感じた。いままでの苦悩が、いちどに発散するような気持だった。そしてそのあとに、それを方法として、一刻もはやく実践しなければいられない気持にかられたのだ。
こうして、佐々木氏の音感教育は、佐々木氏の心のなかに、はっきりと形をととのえてあらわれたのだ。その一つの方法として、分離唱、三声唱、分割唱がある。
分割唱の解明がおくれたが、これは分離唱の変型といったもので、T・S・Dの和音を、ききわけるところから出発し、つぎに、それぞれの三和音を分散的に、C、E、G。C、F、A。H、D、G、というようにスタカートで反復してうたう。この効果は、和音感を学ぶと同時に、リズムの訓練となる。分離唱や三声唱は、増田邦明さんの話のところでも書いたがこれらの方法こそ、百聞一見にしかずで心ある人は、東混なり佐々木氏の宅を訪ねて見せていただくとよい。ぜひ、このことをおすすめする。かくいうわたしも、この原稿の取材で、すばらしい収かくをえたのであった。そしてこの方法が、なんとまた目にみえて効果を生むものであるかも、その後二週間の、あるアマチュア合唱での実験で実証されたのだ。
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特集 “野の花”のごとく (その11)
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