さらりと音楽談義

友人の紹介で、「藤原義章さらりと音楽談義」という催しに行ってきました。

会場は地域の集会所のようなところ、正方形状に集めた長テーブルを囲んで、音楽家:藤原先生を囲んでいろいろなおはなしを聞き、音楽を聴かせていただくという催しです。

10分ほど前に会場にはいると参加者はまだほとんどおらず、主催者の方がテーブルの上に自然の花を集めて生けていました。そしてできあがったお花、背後の照明の前でいい感じでした。

音楽談義1

おはなしは、「クラシック音楽はいつごろ日本に入ってきたと思いますか?」との質問から始まりました。多くの人が明治時代と考えていた中、答えはなんと1500年代、武田信玄の時代だったそうです。九州のキリシタン四大名がヨーロッパに派遣した四人の少年使節、歴史でちょっとは記憶がありましたが、これらの少年達は音楽を学ぶことを目的にしていった、そして帰国後は秀吉の前で音楽を披露し、秀吉はその音楽が大変気に入って四度アンコールをしたとのこと。しかしやがてはキリシタンは迫害され、この少年達は追放されたり殺されたりしてしまったのだそうです。こんな音楽史の知識も新鮮でした。

バイオリン、ビオラ、チェロはバイオリン族と呼ばれる兄弟のような楽器群。しかしコントラバスは別の流れの楽器で、こちらはヴィオール族。楽器の構造がちがったり、作り方もかなり違うようです。ここでヴィオール族の楽器:ヴィオラ・ダモーレの登場。

音楽談義2

ヴァイオリンの胴の上面は板を変形して作るらしいのですが、こちらは厚い板を彫刻して作るのだそうです。ヴァイオリン族は四弦と決まっている(これも知らなかった)が、こちらは七弦が張ってありさらにそれらの下に何本かの共鳴弦が張ってありました。楽器に共鳴弦をつけるという考え・技術はアジアからヨーロッパにもたらされたとか、さらには弦楽器のルーツは狩りの弓矢の音にはじまるとか、洞窟が風で共鳴して音が出る、それがフルートのルーツだとか。はなしは多方面に発展して尽きることがありません。

この楽器の先端にはエンジェルが彫り込まれていました。背後を見ると羽がついているのです。

音楽談義3

日本ではここに11面観音の顔が彫り込まれているものもあるとか。ヴァイオリンが一方では量産化(もちろん職人芸のものもあるでしょうが)されていったのに対し、ヴィオラ・ダモーレは今も職人芸で個性的に制作される色彩が強いようです。

最後に、藤原先生がこのヴィオラ・ダモーレを演奏してくれました。聞き覚えのある一曲と、この楽器のために作曲された少し長い狩りの曲の二曲。

藤原先生の人柄もあり、2時間がこの会の名称の通りたのしくあっという間の「さらりと音楽談義」でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>