オリンピックも終わって気がつくこと。いつのまにか秋が
深くなっていますね。練習場に行く途中、諏訪神社の木々
も秋の粧いをして・・・・。
「みちのく」第三号をおとどけします。巻頭言に先生の言
葉を記す予定でしたが、時には私達の合唱に対する信条
を読んでいただきたいと思い記さなかったことをお詫びい
たします。
○○宅にはメズラシイ。カレーライスのにほい。三人揃って
パクパクポリポリ(ラッキョを食べる)スタミナつけて三人
いわく
「ああ食欲の秋だワイ」ガチョン。
「みちのく」第3号より
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50年前の東京オリンピックに沸き立ったころ、分離唱の合唱
に燃えていた。みちのく混声合唱団のみなさんが活動してい
た頃の時代の風を、こんな短い編集後記からも感じてしまい
ます。
3年ほど前から読ませていただいております。私はみちのく混声合唱団に在籍しておりました。私が高校生の時ですからもう50年も前のことになります。高田馬場のヘレンケラー協会の集会場が練習場でした。
分離唱の感動は今でも忘れておりません。
あなたは在籍していた方なのか、記事の中からは判断できません。でもこれだけの資料をお持ちなのですから関係者の方ではないかと思っています。三浦さん、あるいはその当時慶応大学に在籍されていたご兄弟。それにしてはお歳が異なりますのでその方たちに関係する方。
みちのく混声、佐々木先生への思いは沢山あります。今日インターネットでコメントを見つけ、なにはともあれご連絡したいと思いました。文脈は支離滅裂です。それだけ昂奮しております。
今私は埼玉県所沢市の弦楽アンサンブルでバイオリンを弾いております。そこで知り合った若いビオラを弾く女性から分離唱の話を聞いたのです。本当にびっくりしました。と同時に佐々木先生の分離唱が長い間に浸透したのだの思いました。しかし事実はそうではなく、その方が偶然手にした佐々木先生の著作を読んだからでした。
あなたのブログは本当に美しい。みちのく混声への愛情が感じられる。
これを機会にメール交換はできないものでしょうか。
あの当時のみちのくのことについて、佐々木先生のことについて、伝えたいという気持ちです。
コメントありがとうございました。みちのくを経験された方からのおたより、感激です。私の知らないみちのく混声合唱団のこと、たくさん教えていただきたいと思っております。メール交換、是非是非お願いします。