日別アーカイブ: 2017年7月14日

500選の道ウォーク 徳島堰

久しぶりのウォーキング・イベント参加です、6週間ぶりかな。ウォーキングのタイトルは、

500選の道ウォーク 「徳島堰」

徳島堰というのは江戸時代に開発された韮崎市から南アルプス市に至る大規模な農業用水路のこと、釜無川右岸の広大な農地を潤しています。福岡県の柳川堰、神奈川県の箱根堰とともに日本三大堰のひとつとされているのだそうです。

 

徳島堰01集合は10:30、穴山駅駐車場。駐車場脇には芝生のミニ公園と一見涼しげではありますがこの季節、この時間になると晴天では日差しが厳しくて、集まった人は皆さん樹木の陰に避難していました。

 

この日の参加は26名。ここで簡単な開会セレモニーとストレッチ、それから出発しました。

 

 

徳島堰02間もなく県道の通称「七里が岩ライン」を横断。

 


徳島堰03ここからは釜無川に向かって下る林間の道路、気持ちいい!

 


徳島堰04樹間から釜無川の周りに広がる田園が見下ろせます。

徳島堰05七里が岩は砂岩で浸食されやすい地質だとか、でもこんな人口の横穴もくりぬいてありました。

「戦中に防空壕として掘ったのかな?」

との声も。


徳島堰06小さな沢にもこんなに水量が。

徳島堰07下りきりました。田んぼの中の道路、写真を見ると「こんなに青空だったんだ。」

徳島堰08これは国道20号、穴山橋。釜無川を渡ります。


徳島堰09釜無川右岸の、ここは韮崎市円野町。田園風景の中に小さな祠がありました、見えるかな?こんな風景、いいな。

徳島堰10徳島堰の登場です。ここは釜無川からの取水口近く、幅3~4m、水深1m以上のようでした。大変な水量です。水路の右側の道路を歩いて取水口を目指しました。水路沿いに何百mもの桜並木となっており、桜のシーズンもまたいいだろうな、と。


徳島堰11取水口はミニ公園のようになっていました。「徳衆潤」と書かれた巨大な石碑、左の人物からこの巨大さがわかっていただけるのでは。「徳島堰(あるいは徳島翁)が民衆に潤いをもたらしてくれた」ということでしょうか。書の右下には「金丸信」の名前が、あの大物政治家の威光を見せつけているかのような・・・・。


徳島堰12
彫られた文字の凹みの中に蜂が巣くっていました。黒いところが好きなんでしょうかね。


徳島堰13たんぼ道を通って国道20号に出ました。ここで小休止、そしてUターン。


徳島堰14国道から分かれて円野の旧道を下ります。


徳島堰15徳島堰をひらいた徳島兵左右衛門ゆかりの寺:妙浄寺。急な石段を登ったところにあります。本堂の基礎の石積みに腰掛けての昼食でした。


徳島堰16規模は小さいけれどもちょっとオシャレな鐘楼。円野の部落と田園、釜無川が見下ろせます。


徳島堰17午前に渡った穴山橋の東詰にある午頭島公園。遠くからも松林が目をひく公園です。公園を抜けて右岸のたんぼ道を上ると、


徳島堰18再び徳島堰沿いの道路へ、そしてここは「かかしの里」と呼ばれるところ。この造形物もかかしといいうことでしょうか。その右の白い板、国道側から見えるように「かかしの里」と一文字づつ書いてあるのです。

徳島堰19掲示板もありました。この地での毎年恒例の「かかしカーニバル」の様子が紹介されています。稲穂の時期にはこのあたりの道路沿いに思い思いのかかしが立ち並ぶのです。

徳島堰20さらに徳島堰沿いに歩をすすめます。水路が延々と。


徳島堰21水路を跨いでいる水車、小水力発電機です。200m程の範囲に3台設置されていました。水車が回る風景もいいものです。

徳島堰22ここは円野町入戸野地区、木陰で小休止。


徳島堰23また釜無川に向かって下りはじめました。


徳島堰24下りきって釜無河岸の水田地帯。


徳島堰25入戸野橋の上から、釜無川下流を望む。広い河原です。


徳島堰26橋上で道幅が変わるという変わった橋、自動車のすれ違いのためでしょうか。


徳島堰27これから穴山駅に向かって、七里が岩を登ります。


徳島堰28青紫の花、何でしょう?


徳島堰29野生化した(?)なでしこ。


徳島堰30急な上り坂、木陰なのが救いでした。


徳島堰31登り切りました。先ほどまで歩いていた釜無川沿いの田園地帯が遥か下に見下ろせます。

スタート・終着点に戻ったのは予定から30分遅れの2:30。曇り予想だった天気予報もよい方に外れてしっかり晴れた一日、強い日差しの中を大きな登り下りもあってなかなか歯ごたえのあるコース。水分補給もたっぷりしましたよ。完歩の達成感いっぱいでした。

リーダーさん、サブさん、ありがとうございました。

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