日別アーカイブ: 2014年7月29日

清水眞砂子講演会

甲府で講演会がありました。

清水眞砂子講演会
「半音のない世界で - いま子どもの本にできること」

 ゲド戦記を翻訳された方です。「ゲド戦記」・・・・いきなりその世界に惹き込まれ翻訳とは思えない豊かな世界を感じさせていただきました。その先生の講演、大変楽しみにしていました。

講演は休憩を挟んで約3時間、前半は「かわいいだけが子どもの本?」と題して、子どもにかわしいものだけを与えてかわいいことを求めるようにさせないこと、子どもには厳しいハードルも乗り越えられる、というようなことだったかな。後半は「わかりやすさの行きつく先」と題しての話でした。

以下、いくつか印象に残った言葉を記します。

「電話なら生理的なものが伝わってくるが、メールは無機的。文字(手紙)では健康状態がわかることもある。」
「子どもが苦難に直面している時、不安を取り除いてやろうとするが・・・・。」
「『本を読んで心豊かになる』といわれるが、本を読んで壊されることもある。」
「はたらきかけないでいることの豊かさ」
「かわいそうのなかで育つと、かわいそうになってしまう。」
「何が正しいかは、あなたがどこで生まれたかによって違う(スウェーデンの教科書)」
「一番感動したことは語らずにとっておいて欲しい。」
「こどものとき、一人で世界と向き合う瞬間がある。」
「『わからない』ことを恐れなくていい。」
「『戦争の後に平和がやってくる』というけれど、『平和の後に戦争を呼び寄せてしまう』」
「大風呂敷を広げることをすすめる」
情報を得る手段が急速に新聞からネットへと変わってきているが、「新聞は思いがけないものが飛び込んでくる。」
「ラインに流れることばの貧しさ」
「希望を持っている人は、ものごとをじっくり見つめる。」
「児童文学はハッピーエンドでなければいけない」

「半音のない世界」ということ。
ある作曲家の「コマーシャルソングに半音は使えない」ということばがあったそうです。きれいな世界、やさしくわかりやすい世界を表現するのには半音は使えない、音楽で不安・葛藤・不幸等々複雑な内面の表現には半音が絶対必要であり、子どもに与える本もきれいだけではいけない、といった趣旨でこのことばを使ったのようでした。

ことばを育て人が育つ(育てる)ための視点、新鮮なことばがたくさんありました。