日別アーカイブ: 2006年2月22日

分離唱

このブログのはじめに書きましたが、私たちは「分離唱」という一般にはなじみのない音感訓練をもとにした合唱をおこなってきました。

「分離唱」は私たちが指導をいただいた佐々木基之先生が考案された指導法です。指導者が3音からなる和音をピアノで次々とたたき、その中の1音を指示して、ドイツ音名で和音に合わせて声を出させるというものでした。ただし、先生の指導は「聴いて聴いて」と言いながら分離唱を行われましたが、分離唱の感覚的な世界を言葉で説明することは一切ありませんでした。人それぞれ自身で感じ取っていくべきものということだったのかも知れません。

はじめはこの和音の中の指定された音がよくわからなかったのですが、この訓練をしていればやがてはそう難しいことなくわかるようになります。和音の中の音がわかるようになる、これも分離唱の大きな成果だと思います。先生の指導が始まってある程度期間が過ぎてからのことです。部室にも古いピアノがありましが、あるとき先輩がこのピアノを使って自身で分離唱をハミングで行っていたとき「自分の声がピアノの和音と一体になる」と驚きの声をあげました。そこで私たちも試してみました。たしかにピアノの和音をゆっくりたたいてよく聞きながらハミングで声を出すと、和音が自分の周りにやって来て響きに包まれたような感覚になります。これが分離唱の本質かと思ったものでした。しかし、先生の分離唱はピアノの和音を決してゆっくりたたくわけではありません。分離唱の受け手の感じとしては、音を「探す」とか「合わせる」というのではなく、「ただ聴いて声をだす」「和音に身をまかせる」というようなもののように今は感じています。私の友人は仲間同士で分離唱の指導を行っている際にその指導に対して突然、「出している声を聴くんではないでしょ、聴こうとする心を聴くんでしょ。」と言い出しました。指導者は分離唱の受け手の「聞こうとする心を聞く」、すごいことをいうものだとも思いましたがこの言葉こそ分離唱の本質に迫っているのではないかと思ってます。