甲州街道ウォーク
第5回 与瀬宿~上野原宿
に参加してきました。
第1回から第3回まで、3・4・5月と天候にはあまり恵まれないながらも順調に八王子までたどり着きました。しかし大井川の川止めではないけれど、小仏峠を越えようとしたところで猛暑・台風。そのため3ヶ月も足止め(?)をくい、この9月にやっと進み始めたのです。
とは言ってもこの日歩いたのは小仏峠をとばして相模湖からのコース、峠越えは2月に行うことになりました。というわけで今回は第4回をとばして第5回の甲州街道ウォーク、まぎらわしい表現ですがご了解下さい。
9:30の集合時、またもや雨模様。相模湖駅舎の軒下を借りて「八ヶ岳歩こう会」の受付嬢の面々の受付風景です。
この日の参加は90人。カッパ姿・ポンチョ姿で出発式、まずは会長さんの挨拶から。
「第2回・3回は雨に降られ、第4回は猛暑と台風のため未実施、そして今日も雨。それもこれも会長である私の不徳の致すところ、責任は全て私にあります。」
と、雨模様の湿った空気も笑いで吹き飛ばしてくれました。
与瀬宿近くの与瀬神社着。宿場に流行した疫病から宿人たちを守った鎮守の神で、甲州街道を旅する人たちが必ず参拝したのだそうです。大きな鳥居の向こうに白い手すりの広い階段、これをのぼると・・・・。
広い広場、これは高速道路を跨る陸橋の上なのです。ここからは右に慈眼寺、左奥に与瀬神社と見渡せ、
お参りを済ませたところで集合写真撮影、たまにはカメラマンさんも写してあげないと!
間もなく山道に分け入りました。沢を渡る木橋はかなり朽ちてちょっと不安気。
この神社の入り口にはお地蔵様がコスモスの花の中に立っていました。
草地・樹間をふんだんに通るこのコース、夏でもいいかもしれません。
中央線の上を何度も横切ります。このあたり、線路もトンネルの連続です。
街道の地を示す木柱標識がコース沿いにたくさん設置されていました。
この木柱には「甲州古道 桜野」の表示。
吉野宿に到着。こちらはかつての旅館「ふじや」、この日は休業日だったのですがこのウォーキングイベントのために開けてくれたのだそうです。中には明治10年頃の町並みの復元模型が展示されています。
国道の向かいに吉野宿の本陣跡、当時の姿を残すのはこの蔵のみだそうです。「今はない本陣は五階建てだった」と写真を見せていただきました。
歩をすすめて「小猿橋跡」、ここには橋桁のない猿橋と同じ構造の小型の橋があったのですが、相模湖の湖水に沈んでしまったのだそうです。
現在の橋から眺める風景。湖水が遥か下にあり、深い谷に「小猿橋」がかかっていたことが想像されます。
中学校の正門脇に立つ自転車の廃材をつかったオブジェ。なかなかのアートじゃないですか!
お昼は中央高速藤野パーキングで、午後が雨予報なので休憩時間は30分だけ。食事とトイレで30分はきついですね。雨が止んでいたので、午後の天気も心配だったのですが雨具は脱いでしまいました。これが大正解。
午後の部スタートしてすぐに藤野のかつての商店街に、レトロな看板には「横山薬品改め シーゲル堂」と。
電車からも見える手紙をかたどったオブジェが桂川対岸に見えてきました。
彼岸花がよく咲いていました。石仏と彼岸花の組み合わせ、どうでしょうか?
諏訪番所跡。男は上・下とも手形不要であったが、女は江戸へ入るときに女手形を必要とした(江戸より甲州への下りは不要)とか。「どうして?」と歩きながらの話題になりました。
上野原の街中、旧街道沿いにはこんな木造の青果店が今も現役です。
蔵も、その向こうの青果店の看板も、タイムスリップしたようです。
この日の終着点、牛倉神社に14:20到着。ウォーキング・ダイヤリーに押印してもらい、各自で上野原駅に向かいました。駅までは15分ほどで坂道も、
「この町の人も駅が遠くて大変だね~」
「毎日なら足が鍛えられるよ。」
との声も。
この日朝7時台の電車で集合場所へ向かったのですが、電車内はウォーキングの人が意外と少なく「どうしたんだろう?」。スタッフの皆さんは一電車早く現地に向かったのでした。雨模様の中、朝早くからの運営は大変だったことと思います。下見を重ねてウォークのためのよいコースを設定していただいたのだとも実感しました。午後からは雨という予報も良い方に外れていただいて、暑くもなく緑豊かなコースを完歩できました。
スタッフの皆さん、ご苦労様でした。そしてありがとうございました。
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