グループの中には雨水利用を取り入れた設計を仕事の中で行っている人もいる。2004年8月、グループで、はじめから雨水利用を考えてつくった家屋を見学させていただいた。家主は不在で、家の中まで見ることはできなかったが、設計者さんの説明での見学である。この家庭では庭の散水、洗車ばかりでなく、水洗トイレの水まで雨水を利用しているという。そのためには雨水だけでは量が不足することが予想され、風呂の浴槽の排水は雨水水槽に流れ込む構造にしてあるという。ただし、この家庭では浴槽には石けん洗剤を流し込まないように注意していると言うことだ。雨水水槽は地下に水槽を埋め込み、水槽の手前にはゴミを採るための小さな槽が設けてある。このなかにはプラスチック製のバスケットが取り付けてあり、これで濾しとったゴミはバスケットごと取り出して外へ捨てる。水槽の水位は長い棒を挿入してどこまで濡れるかを見るものだった。また、庭には雨水の蛇口があり、「飲めない」旨の表示が下げてあった。建築時からこのような思想を取り入れると、雨水利用も徹底している。私も「自宅を造るとき知っていれば」と残念な気がした。
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合併浄化槽の雨水利用
私たちのグループに「雨水利用」を唱える方がいる。雨水の貯水槽をつくって、そこにためた雨水を飲料水としては使えないまでも庭の散水や洗車などに利用するというものだ。この方に、「下水道化にともなって不要となる浄化槽を雨水水槽として利用できないか」と聞いてみた。結果はもちろんOK、そういうことをしている人もいるという。その方にいろいろと資料をいただいた。雨水利用に助成を行っている越谷市についてのものや、県内で実際に浄化槽を転用した方の新聞記事等のものだ。しかし残念なことに県内では全くそのような助成制度はないという。しかし、高価な浄化槽が大きなゴミとならず立派に生きる雨水利用をやってみたいと強く思うようになった。
下水道がやってくる
現在の場所に引っ越して4年になる。分譲地を購入してやっとできたマイホームである。このときの条件、「近い(数年)うちに下水道のサービスが始まる。そうなったら必ず下水道に接続してもらう。」とのことだった。わずか数年で不要になる高い合併浄化槽を設置しなければならなかった訳である。
そして1年後(2003年)、地域の公民館で説明会があり「来年5月より下水道の供用開始」を告げられた。
下水道・・・・このおかげで私たちは汚いものから開放され、快適な生活が約束される。ただし、金さえ払えばという条件付きだ。
森住明弘著「汚れとつき合う 地球にやさしい生活とは」
という本がある。私の好きな本だ。表題からも分かると思うが、この中では過度な清潔好きは返って環境に負荷を与える生活であり、私たちが生活していくのに「汚れとつき合う」気持ちが必要であることがわかりやすく説かれている。そして下水道のことにも触れている。
合併浄化槽は水の浄化性能を下水道と同等に持っているという。そうなると私たちのように最近設置したばかりの合併浄化槽を殺してしまって下水道に接続することを強要されるのは納得がいかなくなってしまう。説明会に来た役所の人もまた下水道化を決定した人ではない、立場上説明の場に立たされているだけである。不合理さを追求したところで担当の人を困らせるだけである。不合理さを感じながらも、下水道につながなければならない。そのための出費にも納得しないわけにはいかなかった。