第10回さらりと音楽談義

10th音楽談義いつも会場に花を用意してくれています。今回は矢車草の籠を中央に、それを取り囲んでの音楽談義です。

熊本の震災直後です、まずはスタッフから募金の呼びかけがあり、先生からも滝廉太郎は幼少時は竹田市で暮らした、その竹田市の城山も崩れたといった情報も紹介され、被災地に想いを向けつつ音楽談義が始まりました。今回のモチーフは「リズムはゆらぐ」。

まずは先生から、「音楽は大宇宙から受けたリズムで成り立っている」というふうな話がありました。科学は自然を損なうべきではない、(人間の)寿命を全うするように尽くすものであるべきだ。ボタンを押せば食事が出てくるというのは決して便利なことではない。人が動かないで健康になるはずがない。しかし今の科学は全うすべき寿命を縮めているのではないか。ロボットに感情を埋め込むなんて・・・・。ロボットが高校に入学したと言うが・・・・。

先生から「リズムをどんなふうにとらえていますか?」と投げかけがありあました。ある方からは「調子」と、そうして別の方は「鼓動」。「うん、なるほどなー」と感心しながら聞いていました。先生が「余り一つの話題をひっぱてもねー、これが答えというわけではないけれど」と話し出してくれました。古代ギリシャでは「流れ」・「形」をリズムと言った。リズムは決して音楽用語ではなく空間のリズム、時間のリズムなどがあり、時間のリズムの中にあるのが音楽。リズムはあらゆる事物に関連することば、あらゆる事物に使っていいことばなのだそうです。

建築の仕事をされている方が音楽と深くつながっているような話題を提供してくれました。建築につかわれている黄金比のこと、屋根の反り、揺れるからこそ耐久性が得られるやじろべえのこと、そしてそのはなしの続きとして音楽のリズムをメトロノームに合わせてはダメだと言うことに至りました。でも音楽教育ではメトロノームのような一定のリズム、何拍子だから何拍目を強く、といったことを学習する。それを忘れたり捨てたりしなければ音楽にならないことなどに話が及びました。

10th音楽談義2

休憩時にはロールケーキと紅茶を用意してくれました。その時間、先生が「前衛を!」とひとことつぶやいてピアノを弾いてくれました。やさしい感じで始まったのですが、突然驚かされるような音が入ってきたりして度肝を抜かれる感もありました。でも、私は気づかなかったのですが演奏の中には「あんたがたどこさ」などの童謡や荒城の月をアレンジして織り込んであったのだそうです。その演奏の感想を含めて参加者一人一人が一言ずつ語っていったのですが、多くの方がこの演奏から震災をイメージしていたようです。

一人の方が質問しました。「ベートーヴェンの運命の冒頭、指揮者によって演奏が非常にちがうが、そういった演奏はどこまで許されるのでしょうか?」と。先生のお答えは「マチガイ以外は全部正解」。どうやら楽譜というのは音楽をがんじがらめに制限しているものではなく、かなり自由度がある最低限の決まりであるようです。「演奏を聴いて、どういう意味を表しているか考えてしまうが・・・・」との質問には、「それはそれでいいのではないでしょうか。」とのこと。音楽に向き合う考え方、感じ方などひとそれぞれ違っている、そのことを尊重してくれる先生なのだなと感じました。

このあたりでタイムリミット、最後はやっぱり先生のヴィオラ・ダ・モーレの演奏で締めてくれました。振り返ってみると今回のモチーフ:「リズムはゆらぐ」その話題をしっかり話し、聞いていたんですね。

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