自然農の玉ねぎ

 昨日はちょっとだけ自然農の玉ねぎの収穫、大麦の収穫を体験しました。
 午前中は実家で母が普通に栽培した玉ねぎを収穫し、その荷を家まで運ぶのを手伝いました。玉ねぎは茎が寝てしまえば収穫時なのだそうです。猿の被害に悩まされている私たちの部落にあっては、猿の食害にあう前に収穫してしまおうといういことで、茎はまだ青々としていたのですが前述の通り茎が寝たので急いでの収穫でした。どの玉ねぎもしっかり太って立派なものでした。


 午後、長坂での自然農体験で自然農の玉ねぎの収穫をしました。園芸用らしき大きなフォーク状の道具をつかい、玉ねぎを土から抜いて丁寧に土を落とし、地面の上に並べていきました。午前中に実家で見た玉ねぎとは大違い、玉が全然太っていないのです。さらに太っていないながらも大小さまざまでした。

  「これは普通の玉ねぎとは種類が違うのですか?」
  「そんなことはない、普通の品種ですよ。太っていないだけでしょう。」

そんな会話をしながら丁寧に収穫していきました。掘り出した玉ねぎは根を南側に向けて並べて夕方まで乾かし、その後家に持ち帰るのだそうです。


 こんな体験の中でも様々なことを考えます。先日、母の通院の帰りに長坂の自然農園を見せようと寄り道してみました。私は広い範囲が自然農園なのを見て、またそれぞれが雑草の中で立派に育っているのを見て驚いたのですが、母はちょっとみただけで「やっぱりできが良くないね。」と言ったのです。どうも母達のように長年作物を育ててきた目で見ると、作物が均一に立派に育ってないとダメだと思ってしまうようです。そして昨日の自然農法の玉ねぎの収穫、「自然農の玉ねぎはこんなにも小さいのか」と感じ入ってしまいました。
 わたしは自然農の玉ねぎを批判する気持ちは毛頭ありません。むしろ自然に育った玉ねぎなら大小があって当然なのでしょうね。大きく均一に育つことは、商品としては大切なのでしょう。しかし、大事なのは大きく均一に育つことではなく、健全な生命として育つことなのでしょう。大きかろうが小さかろうが健全な生命を味わう、私もそんなふうになれますかね。

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