月別アーカイブ: 2009年8月

呼び出し?

 ここ3日間は裁判員制度による初の裁判がニュースを賑わせています。裁判員制度の今まで見えていなかった部分が顔を出してきているように思います。
 実際の法廷に参加する裁判員は6名、その6名を選出するため四十数名の候補者を裁判所に呼び出し(その連絡通知を「呼び出し状」というそうですね)、質問・面接で問題のなかった候補者の中から抽選で6名を選び出したそうですね。そうすると、呼び出された四十数名の候補者の大半は今回の裁判に関わることには何も問題がないのに抽選で外れて、裁判所に外れくじをひきに行っただけということになります。仕事を持っている人が都合をつけて呼び出しに応じ、その結果が抽選の外れ、この人達の心情はどんなでしょうか。
 もう一つ、「呼び出し」という言葉にも違和感を感じました。「呼び出し」という言葉には強制的な響きがあり、呼び出される人には何か悪い行為があったという言葉のように思うのですが、そんな印象を持つのは私だけでしょうか。裁判員に指名されたら断ることは出来ない、そういった意味では強制力のある事なのでしょう。しかし、指名された側はこの新しい制度に積極的に関わり協力しようという方たちです。裁判員裁判に協力的な候補者たちに「呼び出し」ではなくもっと適切なことばはないものでしょうか。

私の願い

私の願い
 「最高のコーラスを聞かせるから」と○ちゃんにさそわれて、待ち合せの名所-ハチ公の前でみちのくの人達(○ー男性合唱のメンバー)に会った。初対面の男性は苦手なのだが、その中に親近感のある顔(ごめんなさい)があった。どこかで会ったことのある人と記憶のページを繰ったが思い出せぬ。愛隣会へ行くバスの中で当人の○○さんに云われてわかったのだが、私の勤務している店の近くで働いていたことがあり、私が時々使いに行く度に挨拶した人だった。偶然とはいえ、縁とは不思議なもの「小説の様だな。これも何かのめぐり合せ」そう思ったとたん、にわかにみちのくの人達が身近に感ぜられた。やがて一行は愛隣会へ到着し、練習を始めた。その声を聞いた瞬間、私は思わず「これだ」と小さく叫んだ。静かだがハーモニーのとれたひびきは、私の心を完全にとらえてしまった。しかし、更に私の心に感動を与えたのは、本番(?)のコーラスだった。そのコーラスを聞く愛隣会の人々は、わからぬながらも何かを得ようと、熱心な顔、々。
 歌う人と聞く人の心が一致し、部外者の私にもほのぼのとしたものが素直に感じられた。そして《このコーラスこそ私の探して居たもの》とうれしかった。と同時に、紹介して下さった○ちゃんに、感謝の気持で一杯だった。今でも、じいっと頭をたれ《ひえつき節》を聞いていた老婦人の姿が忘れられぬ。
 いつの日にか《混声みちのく》も人の心にしみじみとした思い、故里の様なひびきを伝える合唱団になれたら、というのが私の願いであり、また、コーラスを始めた動機でもある。
                     (以上、「みちのく」第1号より)
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 「愛隣会」ってどんな合唱だったんでしょうね。ここに登場するということは分離唱にもとづく合唱だったんでしょうか。この頃、佐々木先生の影響を受けた合唱はたくさんあったんでしょうね。

ひまわり

ヒマワリ
実家のひまわり、先週末の夕方の撮影です。被写体の配置がイマイチですかね。「火の見がもっと小さく右下に」なんて構図がよかったと思うのですが、撮影の時にはわからないものです。ひまわりの花は太陽を追いかけていくそうですから、時間の制約もあるんでしょうね。
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