かつては商店街として賑わっていた本通りから少し引っ込んだところに鏝絵があるのを発見しました。ウォーキングで新しい発見は嬉しいものです。そこで庭の中におじゃまして了解をいただいて写真に収めました。
蔵の様子もちょっと違いますね、屋根の下に空間のない創り。そして鏝絵は明るい雰囲気の「松に鷹」です。
「須玉の鏝絵」ページにも加えました。
これで須玉の鏝絵は19カ所、ただし現存するのは18カ所です。
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かつては商店街として賑わっていた本通りから少し引っ込んだところに鏝絵があるのを発見しました。ウォーキングで新しい発見は嬉しいものです。そこで庭の中におじゃまして了解をいただいて写真に収めました。
蔵の様子もちょっと違いますね、屋根の下に空間のない創り。そして鏝絵は明るい雰囲気の「松に鷹」です。
「須玉の鏝絵」ページにも加えました。
これで須玉の鏝絵は19カ所、ただし現存するのは18カ所です。
「須玉の鏝絵」のページを作ってみました。津金の鏝絵の多くはネットでも見ることが出来ますので、ここでは鏝絵の里としてよく知られた津金を除いて私の知っているものは18カ所。なかなか見応えのあるものもありますよ。
下記のページをご覧下さい。
須玉の鏝絵
http://susuki.chips.jp/?page_id=8643
(27.5k)
ゴールデンウィークに鏝絵巡りに行ってきました。ここは長野県茅野市の笹原地区、一つの集落の中にたくさんの鏝絵があるところ。2時間くらいですべての鏝絵を楽しめます。ネットで探すと、
「茅野市笹原 くら、こて絵と庭園めぐり」
http://www.pamph-navi.jp/art/view_dynamic/pdfView1.php?src=pam10010037
というパンフレットがあります。この中には板倉・土蔵・そして鏝絵の施された土蔵、社や石仏などの存在がわかりやすくまとめられた地図が載っています。鏝絵の場所には番号がふられた18カ所、それから番号のない鏝絵2カ所がありました。この地図を基に、鏝絵の番号の順に歩いてみました。
地図をたよりにマイカーを走らせていると、笹原集落に入る前に早速道路沿いに鏝絵を発見しました。
この駐車場には柳の大木があります。ここに駐車させていただいて、ウォーキングスタート。
まずは番外の鏝絵、道路の裏側だったのでさがすのにちょっと苦労しました。
やわらかな色合いの立派な大黒様。鏝絵のすぐ前に木製の棒が立てられていて、こんな角度がベストショット。蔵の傷みを支えているのでしょうか。
蔵印のところではなく、蔵の入り口側の上にある梁の上に装飾を施したもの。こういう場所での鏝絵、はじめて見ました。
この時期ですから武者幟が上がっていました。私達が普段目にするのは信玄や謙信などを描いたまさに武者幟。でもこちらは龍の絵柄、ところ違えばこういったものも変わってくるのでしょうか。
No.5 ちょっとくすんだ感じで遠くからは何の絵柄なのか?
龍でした。ちょっと不気味な感じ。
No.6 壁を黄土色に塗ってあるところを見ると、これは戦前の作品でしょうか。
頭をもたげた亀が立体的です、上方は何を著しているのでしょう? 雲、煙、それとも梵字でしょうか。
No.7 こちらはカラフルな大黒様
N.9 滝に打たれる亀。亀が3匹いるのがわかりますか?
木口の側は波に千鳥。
No.12 こちらも大黒様、色合いも違いますが足の向きなども微妙に違います。同じ職人さんの仕事だと思いますが、少しずつアレンジして行くのでしょうね。
あきらめていたNo.10の蔵の蔵印の鏝絵が遠くから見ることが出来ました。
No.13 左官さんの仕事ではありませんが、屋根棟下の木製の装飾もなかなか。
鯛を釣り上げる恵比寿様。波立つ海、赤い鯛、腰の魚籠、あまり見かけない図案です。
窓枠もおしゃれですが、枠に這っている一匹の亀がまた楽しい、職人さんの遊び心です。
蔵の入り口上の梁の部分は虹梁というのだそうですが、その木口部分には虎があしらわれていました。
集落の端まできました。田園が広がり、はるか向こうには霧ヶ峰方面の山が眺望できます。
これはまた色鮮やか。
No.16 ここには蔵印の鏝絵はないけれど、虹梁が見事です。木口側は亀に鶴。
ここのご主人さんにはおはなしを伺うことが出来ました。この集落は鏝絵だけでなく、多くの家に水が引かれ池をもった庭が作られています。これらの多くはバブルの時期に作られたのだそうです、新しい鏝絵のようです。
これは火の番地蔵といわれるもの、集落の中に何カ所か見られます。
その上方、屋根棟のすぐ下のここはハナブカと言われるところ。ここにも鶴の小さい鏝絵がありました。
これは番外、色あせて鮮明さは失われていますが、古いもののようです。
鏝絵はこれで終わり。短時間で多くの鏝絵を見ることが出来ました。漆喰壁の蔵は板倉の上に漆喰を施したものだそうです。板倉も数多く見られました。壁板はかんながけなどせずささくれ立っていましたが黒塗りされてこれはこれで素朴で風情のある蔵です。この写真も撮ってくればよかったな。
鏝絵巡りを終えた後は県道を上流方向にしばらく車を走らせ、御射鹿池まで行ってきました。綺麗な池ですが、色合いよく撮れなかったようです。簡素で魅力的な池でした。
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先日、八ヶ岳歩こう会のイベント「我が町シリーズ小淵沢・鏝絵の里」がありました。私も参加したかったのですが都合がつかず残念。そこで会のホームページからコースマップをプリントしてこれを頼りに一人で鏝絵巡りをしてきました。
私は小淵沢図書館駐車場をスタート、ここから徒歩でまずは駅に向かいます。
さっそくありました、立派な蔵。これは当家の姓でしょうか、絵ではありませんがこんなのも珍しい。
ロータリーの隅にこんな像、さすが馬の町・馬術の町・ホースショーの町の表玄関です。
駅をちょっと下ると「本町の鏝絵」が始まります。シンプルですが珍しい家紋。
家紋なのか絵なのか、珍しいデザインです。ちょっと筍のような、いやむしろ茗荷かな・・・・。
鯛を釣り上げる恵比寿様、商売繁盛の神で商家で信仰したそうです。釣り糸が絵から飛び出してきています。後で写真を見て、レンズの汚れかと一瞬ギクリでした。
ここからは尾根という集落の鏝絵。
左下に亀(頭が上、下に尾)、上には葛籠のようなもの。浦島太郎のお話からも引用しているのでしょうか。
中央線の下をくぐって、
何と読むのでしょう?
この家の姓が描かれているのでしょうか。「浅川」かな?
高野集落に着きました。
家紋しかない蔵印の蔵も隅には珍しい絵柄が
この集落にある曹洞宗高福寺というお寺、庭園がきれいに整備されています。
この寺にある「幸福の鐘」、3列に108個の鐘が並んでいます、珍しい。
ここからは上笹尾集落の鏝絵。何かに抱きついているようにも見えますが、腰には鉈を差して多分これは働き者の姿。
この集落は線路の南側に位置しています。小さなトンネルを潜った先に大滝湧水・大滝神社があることから、この集落は「滝の前」とも呼ばれているようです。
そしてこれが大滝神社、神社の左手に湧水が蕩々と流れ落ちています。
この日最後に目にした鏝絵。薪の束に腰掛け本を読んでいる、勤労の間の寸暇を惜しんで本を開いていた二宮金次郎が題材なのでしょう。
的確な地図のお陰で道に迷うこともなく、ほとんどの鏝絵を見て歩くことが出来ました。ただ、残念ながら2枚ほど見落としがあったようです。また機会をみて拾ってこようと思います。
前回のウォーキングの続き、集落の中の建物の壁に看板がありました。
一つは、「一日たおれて行ってみろし。」という山梨ではかつてテレビCMに登場したレジャーランド(?)の看板。もう一つはお酒の看板です。
アップで撮りました。信州のお酒「神渡」の看板。諏訪湖が全面結氷した真冬のある日、湖面を覆う氷に割れ目が走るのだそうですが、それが神様が諏訪湖を渡ると考えたらしいですね。看板の神様、かわいい神様です。さびも浮いてきていますが微笑ましい看板ではないですか。
この建物は住まいではなく、その先に母屋がありました。三階建ての立派な建物、この一階がお店だったようです。そしてこの建物の二階の壁には立派な鏝絵が・・・・。
今は戸締めのこのお店、「風月堂」という名前からは和菓子屋さんを想像してしまいます。蔵印の鏝絵と比べたら超大版の鏝絵、色合いも長い年月を経た色に変わって風格がありますね。
立派な鏝絵、大発見でした。
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今日は休日、朝食の前にマイカーを5分ほど乗り出してそこからウォーキングを始めました。北から南に延びる低い尾根の西側にある道路は、この時期の暑い朝の日射しを山の木々が遮ってくれて、快適なウォーキングコースです。
歩き始めてすぐの所から八ヶ岳を望みました。前面に田園が広がり、そのむこうに集落、さらに遠くに八ヶ岳、なかなかの景色です。この部落は「小倉」、読めますか?「こごえ」と読むんですよね。それをこの地方では甲州弁で訛って「こげー」と呼んでいます。
この集落に入っていくとありました、鏝絵が。
それからもう一つ、この蔵は傷みも見えるのですが鏝絵は一段と繊細でカラフルです。でも注意してみるとワシ(orタカ)の形がそっくりです。作者は同じなのでしょうね。土蔵を白壁で上塗りし更に装飾に鏝絵まで施す、これは豊かさの象徴。田圃の広がる豊かな集落だからこそなのかも知れません。
本日のウォーキング
歩行距離 : 6500歩
歩行距離 : 5.1km
休日の昨日、少々欲張ってのウォーキングでした。川を越えてとなりまちへ、たいそう立派な蔵をもった家を見つけました。
壁も黒く、歴史を感じさせる蔵です。
戦時中、蔵の白壁は爆撃機の標的になりかねないということで、炭を塗りつけて黒くしたそうですね。母の実家は特別立派なわけではありませんが、蔵の白壁が黒く薄汚れてその原因を聞いていました。木炭をつぶして水に溶き(懸濁させ)これを白壁に塗りつけたのだそうです。そしてこの作業、当時男手は戦争に召集されてなく、老人と女性の手で行われたのだそうです。
この壁のこの黒さ、同じ理由なのでしょうね。忘れかけた記憶が浮かんできました。この立派な鏝絵ももとはもっとカラフルだったのかもしれません。
9日のウォーキング・データ
歩数 : 8947
距離 : 7.34km
時間 : 71分
10日のウォーキング・データ
歩数 : 10260
距離 : 8.41km
時間 : 80分
(57.5k)